うちの娘は人柄的に間違いなく、私の上だと思います。
(それは、魂のレベルがということ)
魂の上では、子供の方がより多く何度も生まれ変わり、より多くの経験を積んでいる可能性も大なのです。
“高い”“低い”という表現はあまり好きではありませんが、親より、浄化・向上が進んでいる高い魂を持った子供が自分のところに生まれてくることも、多々あるということです。
未熟な親を、反面教師としてそこから学ぶためです。
だから、親は子供に対して、いつも謙虚さを失ってはいけないのだと思います。
誰に教えられたわけでもないのに、他者の気持ちを察し、自然に思いやることができる。また、自分よりも他を優先し、おおよそ今生のまだ16年の人生の中では、到底、体験し得ていない物事に共感できる感性を持ち…
16歳とは思えぬ洞察力で自分を内観し…
間違いなく、私より年上だと思っています。
その反面・・・
彼女の学ぶべき事の全てをリーディングしたわけではないけれど、
・自分の感情を押さえ込みすぎてしまう
(彼女は反抗したことが、今までで1回しかありません。1年間LINEをブロックされていました。でもそれは私が彼女に対してしてしまったことがあまりに大きいので仕方ありません。逆によく許してくれたと思っています)
・情愛豊か故に、逆に情に振り回されてしまう
・自分の長所よりも欠点のほうが目に付いてしまう
(向上心が旺盛な証拠でしょうが、時にはネガティブになり過ぎてしまう傾向があるので)
など、
私から見てもいくつか思い当たるところがあります。
そんな彼女が、やっと楽天的に戻れて、理性より感情の方が勝ってしまいがちな、この私の元に生まれてきたこと、妙に納得してしまいます。
情愛豊かな彼女が、母性に欠け、情愛を学ぶために(それでけではないですが)生まれてきた私を、母と選んできてくれたことにもうなづけてしまいます。
お互いの足りないものを学び合うために、
親子として出会ったのだと、そう痛感するのです。前世でも出会っていますが。
私より向上は進んでいる魂かもしれないけれど、娘なりに乗り越えなくてはならない試練のような出来事(学び)も当然ですがあるわけで。
立ち止まって前に進めなくなっている時には、もちろん、話しを聞いたり、一緒に考えたり、共感したり。
言葉はなく、ただただギュッ~と抱きしめたり。(←そろそろ、ギュッ〜は嫌みたいですが(笑)。またお子さんによっては、ギュッ〜は年齢的に関係なく嫌がるお子さんもいます)
練習や努力をすれば可能になることであったら、その練習・努力に一緒に付き合ったり・・・
娘の魂に対して、尊敬と謙虚さを常に持ちつつも、“親”という学びを選んだ者として私は、その役割りはちゃんと果たしていきたいと思うのです。